アドリア海に沿って 7

5月27日、モスタルで昼食を済ませサラエボに向かいました。
ボスニア・ヘルツェゴビナは旧ユーゴスラヴィアの縮図のように多くの民族が入り混じり、バルカン半島の民族紛争を象徴する国です。そして、首都サラエボはその紛争の中で数奇な歴史をたどった都市なのです。文献によると、ボスニアには主として、ムスリム人・セルビア人・クロアチア人・ユーゴ人などの民族が住んでいるということです。

これらの民族は広い意味ではすべてスラブ民族です。バルカン半島を南下し、住み着いた場所や時期によってセルビア人とかクロアチア人と呼ばれるようになったようです。宗教の面から見ると違いがわかり易いようです。セルビア人はセルビア正教会を信じ、クロアチア人はカトリック信者なのですが、それだけの違いで相互に殺戮をしあうことになるとは信じがたいことです。

とにかく史実から見ると、チトー大統領死後のユーゴスラヴィア解体の過程で、この小さな民族の違いが大きな民族紛争と化してしまうのです。モスタルやボスニアの市街地にも銃弾の跡が生々しい建物が残っており、紛争の凄まじさを今に伝えています。

(民族紛争の傷跡)
民族紛争の傷跡

午後3時頃サラエボ郊外のホテルに到着しチェックインの後市街地に向かいました。ヨーロッパの中心部から遠く離れたこの地で、第一次世界大戦の原因となる事件が起こることになったのか不思議です。サラエボ事件の起こったミリャツカ川に架かるラテン橋を歩いて渡りました。1914年オーストリアの皇太子を乗せた車がこの橋を渡り交差点を曲がった時に銃弾に見舞われたのです。

(ミリャツカに架かるラテン橋)
ラテン橋

ミリャツカ川もラテン橋もどこにでもあるような変哲の無い様相を呈しています。歴史を動かすことになる大事件がこんな平凡な所で起こるなど信じられません。橋を渡った交差点にあるサラエボ博物館の窓には事件に関る当時の写真が掲示されています。後に英雄化されたセルビア人青年のプリンツィプなどの写真にしばし見入りました。

(サラエボ博物館 事件はこの建物の前の路上で起こった)
サラエボ博物館


サラエボの中心街は落ち着いたヨーロッパ風の町並みです。モスクなどを見学した後お土産屋が立ち並ぶトルコ風の旧市街地を散策しました。ここは昔の職人街であったらしく銅細工を作るトントンという音が聞こえてきます。一角にあったアンティークの店から100年位前の物だという呼び鈴を求めました。チンチンと澄んだ音が妙に郷愁をそそります。サラエボ事件の頃に使われていたものと思うと感無量です。

(サラエボの市街地)
サラエボの市街地

(銅細工の店が立ち並ぶ市街地)
サラエボ市街地2

(購入した呼び鈴)
呼び鈴

サラエボの宿泊でこの旅も終わりとなります。少し奮発してホテルの最上階にあるラウンジで夕食を楽しみました。ラウンジは1時間くらいで一周します。暮れなずむサラエボの町が見渡せますが、日が暮れても周辺の住宅地からは余り灯りが見えないのが不思議です。地元のワインと肉料理に舌鼓を打ちながら、もう生涯訪れことは無いだろうクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの旅の総括をした次第です。

(銃弾の跡が残る建物、隣は宿泊したホテル)
サラエボのホテル
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